ひところ、奈良町の地蔵会を追いかけていたことがあります。鎌倉時代、奈良町の元興寺極楽坊や福地院を中心として、地蔵信仰が大いに起こりました。元興寺極楽坊に残された膨大な量の仏教民俗資料は、同寺境内に設立された(財)元興寺仏教民俗資料研究所で見ることが出来ますが、それらを見て思うことは、鎌倉時代に起こった民衆を主役とする新仏教勃興の勢いのすさまじさです。民衆が寄進したという寸法十センチほどの膨大な量の地蔵菩薩の木っ端仏を目の当りにすると、その当時生きることさえ難しかった現実の中で、民衆が仏にすがるその気持ちの強さが偲ばれるのです。
"地蔵菩薩"は、釈迦入滅後、56億7000万年後に弥勒如来が出現するまでの間、現世に仏が不在となってしまうため、その間衆生を救う菩薩であるとされていますが、特に子供と関連して捉えられて、早世した子供や水子を弔う仏とされました。日本各地に残る地蔵会が、子供の祭りとされる所以です。
奈良町には、今も地蔵菩薩を本尊とするお寺が多く残り、この時節あちらこちらで地蔵会が行われます(奈良町の地蔵会)。特にこの伝香寺の地蔵菩薩は"裸地蔵"の異名があり、本物の法衣を身に着けており、年1回地蔵会の際に、新調した衣に着せ替えられます。(伝香寺-地蔵会)
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