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歳時記 1月
2012年1月1日 ホームページ設立10周年を迎えて
新年明けましておめでとうございます。このホームページを始めたのが、2002年8月なので、なんと今年は10周年ということになりました。時間の過ぎるのは早いものですね。おそらく、ホームページを作成する前、奈良の祭事を中心に写真を撮り出したのは、1999年頃だったと記憶するので、私は40歳代の時間の多くをこのホームページ作成に割いてきたことになります。
このホームページをはじめたきっかけのひとつは、インターネット時代の到来を目の当りにして、そのコンテンツとして、それまで撮りためていた写真をデータベース化することを思いついたことがきっかけなのですが、この10年の技術革新は誠にすさまじく、私の最初の小さな志(?)は見事に打ち砕かれてしまいました。ホームページのシステムは、プログ、ソーシャルネットワーキングへと拡張されて、カメラもデジタルへ劇的に転換して、もはやアナログ写真をホームページに載せるような古典的なことをしている人は私以外にいなくなってしまいました。ただ、残念ながら時代を追いかけるのに四苦八苦しているのはどうも私だけではなくて、これはすべての方に言える傾向でもあるようです。
昨日、たまたま1月の祭事を調べるために、Yahooを使って"栢森 綱掛"を検索したところ、私のホームページが5番目にヒットしました。そこまではよかったのですが、なんと2~4番目に、Y-Tubeの投稿動画がズラリ。いよいよ動画の時代が到来したのかなと感じる瞬間でもありました。
実は、このホームページを始めた頃、カメラのデジタル化が劇的に行われて、2~3年のうちに私の友人は全員がそちらに転向してしまいました。その中で私だけが、アナログで通していたのですが、その理由として、「カメラのデシタル化の行き着く先は、静止画から動画への転換であって、デジタル化は静止画としての写真を発展させるのでなくて、将来衰退に向わせるだろう。写真はデジタル・アナログの如何に係らず、記録としての位置が低下して、趣味性あるいは芸術性の中でしかその位置を存続し得ない」と公言していたのですが、それが10年ほどで現実のものになりつつあります。実際民俗行事を研究しておられる若い大学院の研究者は、ほとんど動画の撮影が中心になっています。おそらくこの流れは決定的で、元に戻ることはなさそうです。
さてそうなってみると、自分はこれからどうするのかということになるのだけれども、まずこのホームページはデータベースということで、それなりに完成形を維持しているので、このまま公示していこうと思います。その意味では、やっぱりブログにしなくてよかった!
プログだったら、すでに陳腐化して役に立たなくなっていたはずです。
ただ、新しい画像はしばらく掲載しないと思います。最近は、万葉集関連の風景やイメージ画像が中心で、祭事は撮っていないのです。もし、祭事を再び撮り出すとしたら、たぶん今度は動画で撮ると思います。となると、ホームページの構成を変えて、全更新しないといけないことになってしまいますね。
まあ、40歳代はこの「大和フェト歳時記」に注力した頃とすると、50歳代は、もうひとつのホームページ「万葉の風景」を充実させて、完成させる時期と考えています。そちらは、写真そのものよりは万葉集の解釈が中心で、時代を追いかける必要がないので、じっくり取り組めるということも在ります。 |
2011年1月1日 私が写真を撮る理由
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瑜伽神社
御湯立式 |
新年あけましておめでとうございます。前回友人の野本さんが第一回入江泰吉賞の日本経済新聞賞を獲得されたことをお伝えしましたが、その余得といいますか、受賞の酒宴にお誘いいただきました。メンバーは、プロとアマチュアの写真家達、県立民俗博物館の学芸課主幹、出版社の編集者、大学院出身の民俗学オーソリティといった面々で、まことに絶妙な取り合わせ。写真談義から世間話に至るまで大いに盛り上がりました。
入江泰吉賞についての皆さんの意見、あるいは作品についての感想は大変参考になりました。今回は、組写真ということなので、テーマに基づいた作品づくりが必要だったので、皆さん随分苦労されたようです。
特に、祭事の写真は、どうしてもクライマックスシーンを狙ったテンションの高い撮影が多くなってしまいがちですが、組写真ということになると全体の文脈が大切になるので、思案のしどころです。
私は、原則的にコンテストに応募しないことにしています。理由は簡単で、コンテストに入賞すると、写真が召し上げられてしまって、手元に残らないからです。10年もかかって撮り溜めた写真の、しかもいいところばかりを、入賞と交換に召し上げられてしまうのはかないません。それに、今回のような大規模なコンテストの場合、1年くらいは集中して写真を撮り続けないといけないわけで、プロや定年組みに較べて社会人は時間的にも制約があって、ハンディが大きいのです。
しかし話を聞いていて、私もそれらしいことをしてみたくなりました。というわけで、半月くらい掛けて、今まで撮りためていた写真をもとに組み写真に再構成したのが、次の三部作です。後出しジャンケンみたいで申し訳ありませんが、サテ如何でしょうか。
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神は美に宿る! "大和の神々"三部作の第一
神の姿を肖像として撮る |
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神は美に宿る! "大和の神々"三部作の第二
神の顕れた一瞬を撮る |
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神は美に宿る! "大和の神々"三部作の第三
神の余香を撮る |
今回、この三部作を纏めるにあたって、自分はいったい何を撮りたいのか、あるいは何を表現したいのか、あらためて見つめなおすことになりました。それでなければ、30枚もの組み写真は陳腐なお手盛り写真の羅列になってしまわないとも限りません。
考えてみると、私が民俗行事を本格的に撮り出したのは、10数年前に奈良豆比古神社の翁舞を初めて見て、その神々しさに打たれたからです。祭りは、神迎えのために行われるものですが、奈良豆比古神社の翁舞を見たときに、まさしく神が舞い降りたような感覚に襲われて、それ以降取り憑かれように祭事の写真を撮ることになりました。要するに、神降り(かみふり)の瞬間を撮りたいというのが私が写真を撮る直接の動機であって、今もその気持ちは変わることがありません。
日本の神様は森羅万象あらゆるものに突然降って神気(しんき)を顕すものであって、神の依り代(よりしろ)は、巫女や子供であることもあれば、面を着けた人、あるいは旗や神饌などの神を荘厳する物である場合もあります。だから、その都度神気が宿っていると自分が直感的に感じたものに、私はカメラを向けるようにしています。
その意味では、冒頭の"神は美に宿る"というメッセージは、まさに私が写真を撮る信念のようなものです。今回纏めた組写真は、私が神降りた(かみふりた)と感じた瞬間をただただ並べただけのものであって、その意味では私の心象風景そのものといってよいでしょう。
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2010年1月1日 今年の抱負
新年明けましておめでとうございます。最近少し写真のほうがおとなしくなってしまって、まことに申し訳ございません。やはしりデジタル化にためらうあまり、カメラを大型化して風景写真にトライしているのが影響しているようです。でも、そのお陰で万葉集にも出会ったし、いろいろな本を読んだりする時間の余裕が生まれたのはむしろよかったように思います。最近は好きなジャズ関連の本を読み直したり、仕事関係も前より勉強する時間が出来てきました。まだ仕事をリタイヤしたわけではないので、総じてあまり時間をとられない今の写真ライフのほうが生活リズムは健全のようです。
さて、新年の抱負として、今年は少し遠くに旅行することを計画しています。目的は、万葉集の故地を訪ねること。瀬戸内や富山、山陰あたりはどうかなあと考えています。大伴家持や柿本人麻呂の歌で名高いところです。考えてみれば2-3万円で海外旅行できる時代にそんな地味なところを金と時間を掛けて訪ね歩くというのは、阿呆の真骨頂のようなものですが、私にはむしろそのほうが楽しいんですね。私も既に51歳。飽食を貪るより、好きなものをジックリ時間を掛けていただきたい年頃なのです。
<新年の一句> |
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初明かり 人あることの 嬉しさよ |
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小写楽 |
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2009年1月1日 野本睴房写真集「奈良大和の祭り」
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奈良大和の祭り
写真・文 野本睴房
東方出版 2,100円(税含) |
先般私の知人の野本睴房さんから、奈良の祭り写真を1冊にまとめて、写真集「なら大和の祭り」を刊行されたとの連絡を受け取りました。既に本屋に野積みされておりましたので、早速1冊購入させていただきました。
奈良はその特性上、歴史や美術を取り上げた写真が多く、祭りだけで纏められた写真集は少ないと思います。野本さんはアマチュアでありながらこの10年ほど精力的に祭りの写真を撮影されてこられて、一般にあまり取り上げられたことがない祭事も積極的に撮影されましたので、この分野の参考書に相応しいものになったと思います。1月21日から5日間、「奈良市美術館」で写真展も開催されることになりましたので、是非お時間のある方はお越しいただければと思います。
写真展 |
野本睴房「奈良大和の祭り」 |
会期 |
2009年1月21日(水)~1月25日(日) |
時間 |
10:00~17:30 |
会場 |
奈良市美術館 |
野本さんは、デジタルカメラを積極的に活用されて、プロの方の評価も高く、新しい分野を開拓されつつあります。定年後の自由な時間を活用されて、本当に有益な仕事をされました。一方私は、むしろ古いアナログカメラを使うことで自分の色彩や構図を目指して、題材は同じでも野本さんの写真とは異なる方向を歩んできました。私は写真集を出す予定はありませんが、同じ祭りを両者がどのように違う捉え方をして撮影しているか、見比べていただければありがたいと思います。祭り写真の楽しみが倍になるのではないでしょうか。
祭りの写真は、フットワークと瞬発力が重要ですが、逆にどうしても同じ構図になりやすいという弱点があります。自分なりの工夫をするということが非常に大切になります。 |
2008年1月1日 写真談義
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陀々堂 鬼走り
Jan. 14 2007 |
新年明けまして、おめでとうございます。実は、奈良の写真を撮りだしたのは、仕事の関係で東京から奈良に帰ってきた10年ほど前のことなので、まだ私は30才代後半でした。私はもうすぐ50歳になるので、本当に時間の過ぎるのは早いものですね。
その間に、時代の風景はあわただしく過ぎていきました。一緒に仕事をしていて退職された方も多いし、逆に新しい仲間もできました。写真の方でも知った方ができたりしましたが、一方、デジタルカメラが普及して、なかなか本格的な写真談義がしにくくなりました。
最近、気に入った写真を大きく引き伸ばして、部屋に飾るようにしています。そのようにしたいと思う写真は、1年に1枚あるかないかですが、実際大きく引き伸ばしてみると、その写真の優劣がよくわかります。写真に一番重要なことは、その写真に含まれている物語ではないでしょうか。あるいはメッセージといって良いと思います。そして、それは顔に張り紙が貼ってあるようなあらかさまなものではなくて、もっと暗示的で、深層的なものではないかと思います。写真仲間で言うところの"神が降りた写真"というものがありますが、そういう写真は、総じて技術論以前の何かがあります。それが何かといわれると少し困るのですが、結局幸運は、努力しているものにしか微笑まないということなのでしょうね。 |
2007年1月1日 正月の楽しみ方
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談山神社 翁舞
Jan. 2 2003 |
新年明けましておめでとうございます。今年の正月は、読み物や整理に充てるつもりなので、写真はお休み。むしろ写真ばかり追いかけていると、季節を感じることが駄目になってしまうように思います。珠に手を抜いたほうが良いのです。実際季節感を写真に撮るのは難しいもので、初詣の喧騒や行事を追いかけれからうまく撮れるというものではありません。果たして、何を撮れば人に感動を与えることが出来るのか。考えながら狙って撮るということをそろそろやっていかないといけません。
実は最近正月で楽しみにしているのは、写真ではなくて、奈良市内の大寺に残る声明を聞くこと。特に正月は大きな寺院で修正会が催されて、古式の声明が聞くことが出来るのです。唐招提寺の餅談義などは大変おもしろいし、昨年は正暦寺と霊山寺の声明を聞いてきました。さて、今年はどこに行きましょうか。
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