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歳時記 2月
2012年2月1日 テンペスト3D映画版を観て
昨年9月に、NHKBSで放映された琉球ドラマ"テンペスト"について、私の感想を書きましたが、なんと1月28日、3D映画版になって映画館封切りされたというので、早速この日曜日(1月29日)に観てきました。所謂シネコンというやつで、かつて学生時代、大阪の大毎地下や大劇で、3本立て800円の名画座によく立ち寄った私としては、こんなものが奈良の田舎に出来て大変うれしく思いました。奈良に転居して映画はトンとご無沙汰で、指折り数えてみると、映画館に行くのはなんと20年ぶりですね。
1シアターの座席はざっと150席ほどで、かなりゆったり。かつての大映画劇場の1/10ほどの広さですが、その分前で見れば画角は同じで、むしろ画像の精密度や音声が向上しているので、見心地はまったく文句のつけようがありません。
特に3Dは興味深々で、"テンペスト"の出来以上にそのことが気になりました。一応写真を趣味にしているので、映画を観るときも、カメラアングルや光線の具合、背景のボケ具合、明暗のグラデーションなどが気になって仕方がないのです。沖縄の海は、3D版だとどのように映るのだろうかと・・・。
実は、40年も前の万国博覧会で、3D画像を売り物にしたパビリオンが既にあったし、それ以降もそれらしい3D映写会に数度参加したことがあるので、最近話題の3Dではありますが、それほど真新しい技術という印象は私にはありません。ただ、期待するのはアナログの3Dと異なるデシタル化された3D技術の可能性みたいなものがみられるかどうかというところ。映画館に入るときにドキドキしたのは、20代のときに、東京出張のついでに有楽町の大映画館に行ったとき以来でしょうか。(ただ、そのときの映画の題名は忘れてしまいました。)
ただし、単刀直入に映画を観た印象を言ってしまうと、なかなかよくまとまっていたものの、内容がテンコ盛りになっていて、劇的な筋立てであるにも係らず、物語のピークがやや弱かったのかなという印象です。
もともと、この映画は、BSの10話立ての連続ドラマとして脚本が作成されていたという経緯があるので、2時間半ほどの映画に落とし込むには無理があったに違い在りません。主人公の孫寧温が、八重山で英国船の遭難事件に遭遇するところ、島の庶民の一女性として暮らすところ、王宮に上がって王の后になるところなど、中盤の山場が省略されていて、このドラマの見所のひとつでもある女性としての真鶴の部分が削り取られている印象がしました。
それから残念だったのは、もうひとりの主人公とも言うべき"聞得大君"の人生漂流譚が省略されているところ。王の妹でありながら、王宮を追われ、ジュリ(沖縄の女郎)にまで身を落とし、愛する者に出会ったが故に呪力を失い、最後に琉球王朝の滅ぶ様を見送っていく彼女の姿は、主人公の孫寧温が近代人の自我を象徴しているとすると、滅び行く古い琉球王朝を象徴しているように思えます。実際、昨年2月から3月に舞台化されたテンペストでは、生瀬勝久演ずる聞得大君が全編で大活躍していたように思いますが・・。
もし、この映画が最初から映画用に脚本が書かれていて、統一した意思で貫かれて映画化されていれば、こういうところはもう少しなんとかなったはずです。
それから、画像的な観点から言うと、3Dの特徴として、背景のボケが通常の2次元撮影よりも強くなってしまうという難点があるように思います。これは、かつてのアナログ3Dでもあった現象で、これがデジタル技術の進展で解消されてないのかなと密かに期待していたのですが、それは期待はずれに終わってしまいました。
カメラ的な発想で言うと、2つのカメラの位相で3次元化を実現する3D画像の場合、カメラは、所謂パンフォーカスで全焦点で撮影されるべきで、撮影がそのようになっていないところが大変気に掛かりました。広角の構図では、バンフォーカス気味に撮られていて、背景もかなり綺麗に写っていましたが、望遠の場合、人物以外は強くボケてしまって、全体的にボンヤリした印象の画像に終始していました。
極端に言えば、カメラを前景、中景、後景それから人物の4画面に焦点をあわせたものを2セットづつ計8台で撮影して、それを良いところだけ合成して3D化するというのはどうでしょうか。3Dは、その理屈からいえば、前景も後景も、ピントが合っていないといけないはずです。
素人的な発想で申し訳在りませんが、デジタル技術を標榜するのであれば、それくらいトライしていただかないと、40年前のアナログ技術と同じことになっしまいます。
さてさて、そういった私の愚痴はともかくとして、テンペスト全編を貫く沖縄の海の碧さは3D技術で間違いなく魅力が増していました。それから、琉球独特のウタキ(霊場)の景色も、森の緑が怪しくきらめいて、間違いなく3D技術で魅力が増していたように思います。
最後にもうひとつ、仲間さんの舞踊の場面は、何故映画版では省かれてしまったのでしょうか。昨年2月の舞台では、ここが見所のひとつだったはずで、テレビではかなり簡略化されていて、それが映画では完全になくなっていました。私は彼女の踊りを一番楽しみにしていたのですが・・・。

2011年2月6日 木村伊兵衛展:
木村伊兵衛展
2011.1.21〜3.6
何必館・京都現代美術館
先日、何必館・京都美術館で行われた「木村伊兵衛展」に行ってきましたので、その報告を。木村伊兵衛は、日本写真の黎明期を飾る巨人のひとりで、当時画期的な機動性で世界中を席巻したライカを武器に、独特の柔らかいフレームワークで日本の戦後を鮮やかに切り取った写真家です。
私は木村伊兵衛が好きで、特に"秋田の民俗"を撮った写真は今も大変参考にしています。木村伊兵衛は、旦那芸で写真界を制覇したと言われるくらいなので、良い意味でのアマチュアリズムみたいなものに溢れていて、媚びないところが心地良いのです。右のポスターの写真でも、プロならば何らかのプラスアルファを加えて撮ってしまいたくなるところですが、それをしていません。古いレンズで絞りを開放気味に撮っているので、現在の写真と較べてかなりボンヤリしているのだけど、しかしこんな美しくて魅力的な写真を私は他に見たことがありません。
感覚的な表現で申し訳ないけれども、写真は、写真を撮る人の"眼差し(まなざし)"といったものが、非常に重要だと思います。この場合"人格"といっては言いすぎで、やはり"眼差し"というのが正しくて、"視座"といっても良いと思います。木村伊兵衛の眼差しは、あくまで温かく、対象を包み込むようです。そして自身の存在はあくまで控えめで、時としてその存在を消し去ってしまっているかのようです。
木村伊兵衛の写真で、対象が写真家に目線を合わせているものはほとんどなく、背後から撮ったものが多くあります。人物は構図として配置されているといった印象ですが、その構図の中に作者の意図が隠されていて、絵画的なおもしろさがあります。
それに比べて、戦後の同時代に、同じく写真界の巨人と評された"土門拳"の写真は、まるで対象と格闘するかのようです。土門の体臭が写真の中から匂おうが如くで、そこには印刷工から独力で這い上がったリアリストとしての土門拳の眼差しがあり、現実を直視する厳しい視線が感じられるのです。土門にとって、写真を撮る題材は、"ヒロシマ"や"筑豊の子供たち"でしかありえず、それに対して木村伊兵衛にとってそれは、"秋田の民俗"が相応しかったということでしょう。
私は、戦後の同時代を飾る映画界の巨匠"黒澤明"と"小津安二郎"の違いを、"土門拳"と"木村伊兵衛"に引き比べて考えみたくなります。画面上のリアルを追求した黒澤明と絵画的な画面構成で世界的に評価が高い小津安二郎・・・、それはまるで"土門拳"と"木村伊兵衛"の関係のようではありませんか? 同時代の異なった画像文化の中で、同じ時代認識と方向性が並存したという端的な例で在りましょうか。
ちなみに、戦後映画の巨人の中で私が最も好きなのは、"黒澤明"でもなく"小津安二郎"でもなく日本美を追求した"溝口健二"で、かろうじて木村伊兵衛の女性写真は"溝口健二"にあてることが出来るのではないでしょうか。

2009年2月1日 入江泰吉写真展「大和歳時記」:
吉野蔵王堂 鬼火の祭典
Feb. 3 2002
1月に知人の野本あき房さんの写真展をご紹介しました。大変な盛況で、野本さんも来場者の応対で席の休まる時間が無いくらい忙しくされておられました。我々写真仲間も非常にうれしく思いました。
ところが、ちょうど同時期に奈良市立写真美術館で、故入江泰吉さんの写真展「大和歳時記」が開催されて、同じテーマが取り上げられていましたので、その件について少し・・。
入江泰吉写真展「大和歳時記」
2009年1月4日(日)〜3月22日(日)
入江泰吉記念奈良市写真美術館

入江さんの長い写真歴の中で、祭事の写真は比較的古く、昭和30年代から40年代に集中しており、珍しく35ミリのカメラを使った白黒やネガカラーの写真が多いことが特徴となっています。特にお水取りの写真群は、入江さんの代表的作品のひとつとされています。
これらの写真を見ていて、作品そのものの出来云々よりは、その周辺風景や人々の佇まいに眼を奪われてしまいました。
祭事の写真は、入江さんにとってあまり得意な分野でなかったはずです。もしかしたら、現代の私たちのほうが詳しい情報を持っていて、実際野本さんの写真のほうが考証やディテールで優れているように思います。しかし、なんだか入江さんの写真を見ていると、懐かしい風景が溢れているのです。これは、我々世代が少年時代から青年時代を過ごした時代の風景や匂いが、入江さんの写真にいっぱい詰まっているからに違いありません。人々の顔、舗装のない地道、坊主頭の子供達、町の風景、そして白黒・ネガの色調・・・。50年ほどでこれだけ風景や人の佇まいは変わってしまうんですね。
しかし、写真に写っている子供たちは紛れも無く私と同時代の人であって、子供の頃に駆け回った田や路地や野山の風景が封じ込められているのです。写真は、やはり時代とともに生きているものであり、記録者の意図にかからず、写し込まれた背景にも大きな意味があるということを改めて認識しました。

2008年2月1日 おんだ祭り
菅原神社 おんだ祭り
Feb. 25 2008
1月から5月にかけて田植えが始まるまでの時期に、大和盆地では田植えの様子を模した"おんだ"と呼ばれる祭りが広く行われます。"おんだ"の祭りは、全国に分布していますが、大和盆地の場合は、田主と面をつけた牛が田植えの所作を行うパターンが多く、大変特徴的です。数えてみると、50箇所くらい残っているようです。

大和盆地でかつて牛耕が盛んであったことの名残りですが、近年は牛で田植えを行うことは既になく、このような祭りに形式的に伝承されているに過ぎません。地元の方のお話では、昭和30年頃には本物の牛は消えてしまったようです。
しかし、奈良に住んでいる方でも、おんだ祭りを知らない人が多いのはびっくりします。このような素朴な村祭りを探して参加してみるのも、なかなか楽しいものですよ。

2007年2月1日 御朝拝式:
福源寺 朝拝式 筋目衆
Feb. 5 2006

 
金剛寺 朝拝式 筋目衆
Feb. 5 2005
2月5日に川上村で行われる朝拝式は、凄まじくも悲しい後南朝の歴史の生き証人。
1457年、川上村で南朝の再興を伺っていた後南朝の自天王が赤松一族によって暗殺されるという事件が起こりました。川上村の村民は暗殺者と戦ってその首を奪え返し、金剛寺裏の南帝陵に葬ったのがこの祭りの始まりと伝えられています。自天王を殺害したのが新たに家臣に加わった者だったので、参列は筋目と呼ばれる暗殺者と戦った村民の直系子孫だけに限られ、金剛寺と福源寺の2箇所に分かれて式典は行われてきました。それが今年の550年祭を機会に、人口の減少や高齢化を理由に金剛寺に統合されることになりました。村の無形民俗文化財に指定して存続させるとともに、筋目と呼ばれる家系の男性しか参列できなかったしきたりも今後はなくなるそうです。
右上の写真は昨年福源寺で撮影した朝拝式の記念撮影。これが福源寺で行われる最後の朝拝式になりました。
しかし、550年に亘り一人の死人を護持し続けることの大変さを思うと気が遠くなります。21世紀になっても立派に天皇家が続いていることを思えば、自天王のご無念も晴れたに違いありません。筋目の皆さん、550年振りにゆっくり休んでください。






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Web初版開設日 2002年 8月1日
Web二版更新日 2005年 9月1日
頁最新更新日 2012年 2月1日
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