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歳時記 4月
2011年4月1日 東北関東大震災に思う:
氷室神社 夜桜
3月11日、東北関東大震災が起こりました。私は会社におりましたが、関西なので震度は3程度。珍しく横揺れなのでホームページを注視していると、"東北で震度7、津波予想10m"というテロップが出ました。津波予想10mにはびっくりしましたが、社内の情報を集めてみると、東京支店や茨城の事務所で、ロッカが倒れたものの、大きな被害はなさそうということで一安心して家に帰ったのが、夜7時頃でした。そこでテレビで見たのがあの惨状。阿鼻叫喚の巷とはこのことか・・・。
震災が起こったのが2時40分なので、4時間ほどの間に、"津波予想10m"という短いテロップは現実のものとなり、2万人以上の人の命を飲み込んでしまったのです。現実とはこれほどに厳しいものなのでしょうか。
阪神大震災のときも、その時私は東京におりましたが、朝6時に起きてテレビで知ったのが第一報。とりあえず奈良の実家に電話して両親は大丈夫ということを確認して家を出て、会社で知ったのがあの惨状。テレビには長田の大火災の様子が延々と映し出されていました。被災の状況がすべてわかるのに、丸1日掛かったように思います。震災から数時間の間、被災者は他者と切り離されて、まともな情報がない中で生死の間をさ迷われたわけで、その現実の厳しさに慄然とせざるをえません。東北の津波の映像を見て、わが父はぽつりと「大阪大空襲のときみたいやなあ。」と言いましたが、まさしくこれは戦争と同じではないかと思いました。
震災から、ようやく2週間が過ぎて、事態の大きさがようやくおぼろげながら、姿を現しつつ在ります。死亡・不明者2万人以上、避難民30万人以上、原発被災レベル6、計画停電、農産物の風評被害・・・。これらの直近の問題は長引きそうで、この1年はまさしく日本の正念場になりそうです。加えて、阪神大震災のときと較べて、日本をとりまく国際政治と経済の状況は激変して、国家財政は逼迫し、しかも日本の国際的地位は相当に低下して、企業の国際競争も格段に厳しいものになっています。冷静に現況を判断して、"戦後日本の最大の危機"という言葉は、まったく誇大なものではありません。短期的な課題、中長期的な問題が山積して、これから手を変え品を変えて日本を襲ってくることでしょう。
今こそ日本はひとつになって、この難局を乗り切っていかなければなりません。日本の本当の実力が試されているのです。

桜花 散りてこそ待たむ 明日の花
小写楽
 

2010年4月1日 日本の花:
唐古 望楼と菜の花
今年も少し桜の開花が早いようですね。桜は入学式の花だったものが、最近は3月にピークにずれこむことが多いので、なんだか変な気がします。"新しき 人の集いて 桜かな (小写楽)"とは詠えなくなってしまいました。俳句をひねったりあるいは和歌を勉強したりしていて、一番困るのは、古くからある日本の季節感と現代の我々の生活感覚が大きくずれてしまっていること。例えば、桜の花にしても、和歌に詠われた桜は100パーセント山桜だったはずで、現在の"染井吉野"とは全くの別物です。万葉集の写真を撮る場合、桜は出来るだけ"山桜"を撮りたいのだけれど、奈良でも山桜がほとんど見られなくなってしまっているので大変苦労します。
考えてみると、現代の庭に咲く花は洋花ばかり。我が家には真っ白な大輪の花を咲かせる八重椿がありますが、これは日本の原種をもとに西洋で開発されたもので、まるでダリアのように豪快に咲き誇ります。でも、和歌に詠まれたような寒椿は、真っ赤な小ぶりの一重咲きではなかったかしらん? 万葉集や古今集を勉強している私としては、洋花の氾濫は全くありがた迷惑のようなものです。
紫陽花なんかも、"墨田の花火"あたりまでは、俳句には使えそうだけど、"フラウ××"とかになってくるともう駄目。確かに美しいけど、日本の季節感と合わないと思います。
花鳥風月は、俳句や和歌、それから書画などの日本文化に深くかかわってくる部分で、それらがめちゃくちゃになってしまうと、大げさですけれども日本文化そのものがなりたたないという気がしています。例えば、書画の花鳥画には、"四季図"、あるい月毎の十二本で構成される"月歴図"というものがありますが、この花の構成が現在の我々の生活圏にある花々と全く違うということになってしまっているので、理解することが難しくなっているのです。"三色すみれ"や"薔薇"や"八重咲きの白椿"や"フラウ××のあじさい"を描いた日本図はありえないので、現代の日本画家は、どのようにして勉強されているのでしょうか?
これではいかんと私も遅まきながら気がついて、昨年から我が家の庭の和風化を志すようになりました。といっても大改造は家族の抵抗が目に見えているので、ささやかながら野椿を1本手に入れて鉢植えで育て始めました。それから、山野草の栽培も始めました。すでに"桔梗"と"地えびね"を庭に植え、"りんどう"と"つぼすみれ"を鉢植えにしたりしています。
ちょうど今"つぼすみれ"が満開で、小さい淡い紫色の花を咲かせてくれています。

2009年4月12日 野のすみれ
野に咲くすみれの花
 皆さん最近すみれの花をごらんになったことがありますか。万葉集の山部赤人の歌に有名なすみれの歌があって、写真のコンテンツ用に探していたら、これが案外難しいんですね。
春の野に すみれ摘みにと 来し我れぞ
野をなつかしみ 一夜寝にける
巻8-1424 山部赤人
宝塚歌劇団に"すみれの花咲く頃〜♪"という有名な歌がありましたけれども、 考えてみると少年時代大阪近郊に暮らしていた私は野のすみれを知らなくて、この歌を聞いてイメージしていたのはベランダに咲く"三色スミレ"ではなかったかしらん? 20数年前に奈良に引っ越してから野山や田園地帯を歩く機会が増えて、本物のすみれの花を知るようにはなりましたが、それでも数えるくらい。特に最近は記憶がありませんね。
今回口づてを頼りに平城宮跡あたりを半日ほど探してみたのですが、結局ここでみつけることが出来ませんでした。平城宮跡は、発掘で頻繁に掘り返された挙句、今は整地されてグランドのように地面が固くなってしまって、宿根草のすみれが咲くのはもはや無理なのかも知れません。平城宮跡はかつて田畑であった名残で、すみれだけでなく、桔梗、おみなえし、なでしこ、あやめなどがたくさん咲いていたと聞きましたが、それらも最近は難しくなってしまったようです。
そこでいろいろ駆けずり回って、奈良北郊高山地区の里山でようやく見つけたのが、右掲の写真。非常にか細く清楚な花で、よほど足元を注意していないと見分けることが困難なくらいです。
考えてみると、古今集以後にすみれの花が詠われることはほとんどなく、天平時代の貴族は本当に野山に出て花摘みをしていたに違いありません。それでなければ、こんな小さな地味な花が万葉集に取り上げられることは無かったはずです。

2008年4月4日 日めくり万葉集
法起寺 日輪
Apr. 6 2003
この頃はまっているのが、毎朝NHKハイビジョンで放映されている"日めくり万葉集"を観ること。たった5分の放映だけど、DVDに撮って就寝前に見るようにしています。団ふみさんのナレーションが素晴らしいし、毎日変わる選者の解説もなかなか個性的。そして、何よりNHKのカメラさんが頑張っていて、万葉の雰囲気をよく伝えてくれています。
最近1枚の画像に文学を表現するということの重要性をよく考えます。特に奈良という土地には一木一草に至るまで歴史が深く刻まれているので、それらを象徴的に重ねて写真を撮ることの意味を常々考えざるを得ないのです。万葉集の画像化というテーマは既に多くの人がトライされていて、ある程度定番化されるものがあります。しかし、今回改めてNHKの番組を見て、改めて興味をそそられました。
考えてみると、私が万葉集に触れたのは、高校生の頃に岩波新書の「万葉秀歌(斉藤茂吉著)」を読んで以来だと思います。万葉集が心に沁みるようにようになってきたのは、それなりに年をとって人生の皺を重ねてきたからでしょうか。いつか万葉集と写真のコラボレーションみたいなものをやってみたいのてすが・・・。

2007年4月8日 東大寺の仏生会
東大寺の仏生会
4月8日はお釈迦様のお誕生日。各地の寺院で仏生会が行われます。摩耶夫人の脇下からお生まれになって、右手を差し上げて"天上天下唯我独尊"とおっしゃられた御姿の童子像を花で美しく飾った花御堂に安置し、参詣者がその像に甘茶をかけるのが決まった慣わしです。甘茶をかけるのは、お釈迦様が生まれたとき、天から九頭の龍がきれいな水を吐いて産湯をつかわせたいう言い伝えによるものだそうです。
ちょうど桜満開の頃にこの祭りは行われるので、特に関東では、4月8日を花見の日とする習慣があったようです。昔は、桜の花見や仏生会を行った後、一斉に種蒔きを始めたので、長い重労働の日々が始まる前の一種の安息日であったのだろうと思います。
東大寺の仏生会は、仏様や花御堂が立派で見事。かつて奈良時代の大仏開眼供養が、仏生会の4月8日に合わせて催されたので、この仏様もその時に作られたのではないかという説があるそうです。

2006年4月1日 仏隆寺のモチヅキ桜
早いもので、もう四月ですね。なぜか4月の分水嶺を踏むと、春が怒涛のように7やってきます。特に4月の上旬は、日本中が桜の国になり果てて、心が無闇に騒ぐのは私だけでしょうか。最近一本桜の古木を探しては写真に収めるようにしていますが、群れて咲く染井吉野と違って、周りを睥睨して野武士の如く毅然とした佇まいをみせる桜の古木は存在感があります。
仏隆寺に"モチヅキ桜"という樹齢900年の老桜があります。全国的に有名な名桜ですが、この桜は樹勢が強く、数年前に台風で大枝のひとつが欠けたものの、いまだ壮健な姿を見せてくれます。左掲の写真は2年前に撮ったものですが、天空に伸びる枝木から妖気が漂っているように見えて、ゾクっとしたことを覚えています。桜の下には死体が埋まっているといったのは、誰でしたっけ?





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Web初版開設日 2002年 8月 1日
Web二版更新日 2005年 9月 1日
頁最新更新日 2011年 4月 1日
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