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歳時記 5月
2012年5月3日 You Tube
ゴールデンウィークに入りました。なんと9連休だけれども、生憎天気が悪くて雨ばかりなので、出そびれてしまいました。しかたがないので、部屋に籠もって、コーヒー飲みながらYou Tubeで遊んでいます。4−5年前にはなかった時間の潰し方ですね。
きっかけは、たまたま80年代にテレビのコマーシャルで一世風靡したキャサリーンバトル(クラシックの女性歌手)のオンブラマイフ(ヘンデル)の動画を見つけたこと。あの天使の歌声を聞くと、何故か20代の頃を思い出すんですね。音楽は時間を超えて存在するというのは本当ですね。
最初キャサリーンから始まってマリアカラスの若かりし頃の動画探しに移って、ハイフィッツの全盛時代の動画を見つけてしまって、後はしっちゃかめっちゃか。こんなに珍しい貴重な動画がYou Tubeに溢れているとは知りませんでした。こうなってくると、今度はジャズの動画探しにも手を出して、マイルスバンド黄金期(1967年)のカルテット、ビルエバンスのテレビ録画(1963年)、そしてなんといっても、ビリーホリディーの最晩年、1957年の"My Man Don't Love Me "のオースター版を見つけたときはびっくりしてしまいました。コールマンホーキンスとレスターヤングが競演しているではありませんか! もう三日くらいは、You Tubeに釘付け状態です。
というわけで、秘密にしておくのはもったいないので、珍しいと思う動画を集めて、リンク集を作って見ましたがいかがでしょうか。クラシックあるいはジャズに詳しい人だと一目瞭然ですが、おそらくこのラインナップだけで、クラシックの歴史/ジャズの歴史なんていう本が書けてしまうのではないでしょうか。
器楽演奏をある程度本気で勉強した人ならわかることですが、音楽の勉強はCDと譜面と教則本だけでは駄目です。特にアコースティクの楽器は、身体と一体とならないと良い音にはならないので、うまい人の奏法を眼で盗んで、体で覚えることが重要です。その意味ではこのように名人上手の動画が残っていることは大変貴重です。特にジャズは即興芸術なので、例え神業のような名演奏であっても、録画がされていないと一瞬で永遠の彼方に消えてしまうのです。
さて、これらの動画を見て気がついたことがひとつ。運動神経の自信のない人は、クラシックやジャズの演奏はやめておけということ。少なくともプロはやめておいたほうがよさそうです。あなたが、もし普通の運動神経の持ち主であったとしても、果たして千年努力したらオスカーピーターソンになれるでしょうか?
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2011年5月1日 同世代のミューズ
田中好子さんが亡くなってしまいましたね。スーちゃんは二つ年上だけど、ほぼ同世代。私は、キャンディーズのファンというのではなかったけれども、高校時代頃には大変な人気だったから、彼女はある意味で我々世代を象徴するような存在でした。ただ、若くして歌手を引退(私はまだ大学1年だった)してからのほうが、家庭的で親しみやすいキャラクターの女優として、彼女は際立っていたように思います。乳がんで長い闘病生活を送られていたようですが、その経験が彼女に光彩を与えていたのではないでしょうか。
最近、同世代ということをよく意識します。例えば、我々世代の女優さんというと、樋口可南子、夏目雅子、田中裕子、黒木瞳、原田美枝子さんあたりになりますが、田中好子さんも忘れがたい存在。近年母親役が多かったものの、むしろ我々世代の男性にとって好ましいものに思えて、歳をとっても美しい人とは彼女のような存在をいうのでしょうか。
思えば、現代の若者達にとって、キャンディーズのスーちゃんは当然記憶になく、田中好子さんはお母さんのような存在でしかなかったはずです。我々のように同じ時間を経てきたものにとってこそ、彼女は輝く存在であったのです。
何も思い出に浸っているわけではなくて、同じく年齢を重ねていくということの意味が最近沁みるようになってきたのです。これは、人のことだけではなくて、景色に対しても、物に対しても・・・。何気なくではあっても一緒に過ごしてきた時間に対する愛おしさ、かけがえのなさとはこういうものなのかと・・・。
例えば、我々の父母世代でいうと、最近高峰秀子さんがなくなられました。彼女は戦中戦後世代を代表する存在であって、その時代の人生の鏡でもあったはずです。NHKのハイビジョン番組で彼女の追悼番組を拝見しましたが、戦時中の彼女のブロマイドを忍ばせて従軍する兵士が多かったという逸話、戦後ヒットした"二十四の瞳"の大石先生役に皆が涙したというエピソードに大変感銘を受けました。
かつて、成瀬巳喜男監督の映画"あらくれ"で、逞しい明治女を演じる高峰秀子さんを観て、彼女の映画人としての存在感に心を奪われたことがありますが、時代を代表する人、時代を表現する人とはこういう人をいうのでしょうか。
翻って、現代の若者たちにとっても、彼ら世代特有のミューズが何処かにいるはずです。しかし、それはこれから彼らが経ていく幾星霜の時間の中で、自らの人生と重ね合うことで本物になるはずです。今はまだその入り口でしかないのです。
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2010年5月1日 幻視考の美学
平城遷都1300年祭が始まリました。各地からたくさんの方がお見えになって、我が家の辺りも随分人が増えました。考えてみると、こういうことは1988年のシルクロード博以来です。今回は世相を反映して、随分節約型の展示とのことですが、一時は開催も危ぶまれたくらいですから、まずはめでたしというところ。
しかし、それにも増してうれしいことは、テレビや出版等で、盛んに奈良を取り上げていただいていること。4月に放映されたNHKの「大仏開眼」は素晴らしいドラマでしたし、先週NHKBSで放映された3時間番組"春日大社 悠久の森"などは、奈良の祭事を追いかけている私にとって、正に永久保存版とすべき内容でした。民放も、東西を問わずいろいろと取り上げていただいており、おかげで中谷堂のおじさんも餅搗きで忙しそう。
出版のほうも目白押しで、ありきたりの旅行案内だけでなく、仏教美術、万葉集、考古学、歴史、民俗、写真集など、あまり一般向けでないという理由で近年出版が控えられていたものが、ここにきて一気に爆発した感じです。特に、仏教美術は、東京での阿修羅ブームが起爆剤になって再認識されつつあって、喜ばしい限り。ギリシャ彫刻に匹敵する世界の宝物が、このままうずもれて良いものかとかねてから憤りを感じておりましたが、ようやく陽の目をみることになりました。
しかし、奈良の不幸は、゛戦前の教養主義や皇国史観に支えられて、官頼みがいまだに抜け切らないところ。奈良の修学旅行も、天皇家揺籃の地としての奈良を学習するということから始まって、その最盛期は戦前だったわけですから、この国際化時代にあっては、新しい価値の創造あるいは認知がなければ、縮小するのは当たり前。実際、奈良県は、全国一宿泊施設が少ない県という汚名を冠することになりました。
しかし、考えてみると、奈良の地は文化的な奥行きが極めて深く、そして多層的です。これはソフト化重視の現在において、武器となることはあっても、損になることはないはずです。要するに、ソフトというのは捉え方の問題であって、このことを情報発信する側が正しく理解して、常に新しい切り口を提供する努力を続けていけば、必ず成果は出てくるはずなのです。
例えば、和辻哲郎の"古寺巡礼"や亀井勝一郎の"大和古寺風物誌"を今時取り上げても、誰もわからないと思います。私もかつてこれらを読みましたけれども、それはまだ戦前の教養主義の端くれが残っている30〜40年位前のことで、正直のところ彼らが主張する"滅びの美学"は、現在の奈良の姿とは全く合わないと思います。今それに代わるものが必要なのです。
私がもしこれらに代わるものを主張するとすると、それは"幻視考の美学"というべきものです。現在は、かつてと比べて歴史的知見が圧倒的に進んでいます。加えて、゛戦前の皇国史観"から離れて、自由に古代を論ずることができるようになりました。そして、それは世界の中の日本という大きな視野に立った見方です。その中で、我々は、古寺や遺跡を訪れて、よりリアルに古代の日本あるいは東アジアに思いを馳せることができるのです。
.平城宮跡は、私のありきたりの散歩コースですが、歩いていていつも思うことは、この辺りを1300年前の古代人が闊歩していたその姿。そして、そこには、唐や新羅の渡来人あるいはバラモンと呼ばれる西域僧やインド僧もいたこと。そのことを考えるだけで何時も楽しくなります。こんなことを想像することが出来る場所は、日本にここしかないのですから。 |
2008年5月1日 山笑う
タンポポや蓮華の花が野に咲き、山には藤の花が芽吹く季節になりました。まさしく百花繚乱の春といったところ。特に里山の萌黄色の新緑が素晴らしい。俳句の春の季語に"山笑う"というのがありますが、広葉樹林の春は明るく、正しく笑うが如くです,。私は京阪奈丘陵を山越えして、毎日自動車通勤をしているのですが、この辺りの里山はこの季節が最も美しいと思います。新緑の中を咲き誇る水色の藤の花は、まるで瀧のようですね。
実は、最近花の撮影用に中判カメラのマイクロレンズを入手して、試し撮りをしているところです。4月5日に撮った"なずなと三輪山(右掲)"がその第一号ですが、微妙な色のグラデーションが出たので、これからが楽しみです。思えば、私がまだアナログ写真にとどまっているのは、この色を出したいからです。万葉の花特集なんてのも良いかも知れませんね。 |
2007年5月14日 当麻寺 練供養 |
突然コンピュータが故障して動かなくなりました。コンデンサーの液漏れだとかで、復旧に二ヶ月。その間、このホームページはフリーズ状態だったので、ようやく更新できることになりました。一時はどうなることかと茫然自失。あやうく、6年間の努力が水泡と化してしまうところでした。
さて、今回は 5月14日に行われる初夏の風物詩、当麻寺の練供養をご紹介したいと思います。平安時代末に同地出身の恵心僧都が、草創の中将姫を慕って阿弥陀来迎の模様を実演してみせるために、二十五菩薩の面と装束を寄進して始まったと伝えられており、その歴史はすでに千年を超えています。
かつては田植え前の束の間の安息日として、近在から大きくの人が集まり、この曼荼羅絵巻を観劇しました。同様の練供養は、大阪平野の大念仏寺や京都の湧泉寺など、全国で行われています。
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2006年5月5日 野神祭りと端午の節句 |
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社殿の菖蒲・蓬・柏餅
平等坊の野神祭 |
5月は田植えの季節。この時節様々な田の神が勧請されて、豊穣を祈念する祭りが行われます。奈良盆地では、野神(農神)という神様が広く祭られていて、各地各様の祭事が催されますが、一般家庭の端午の節句も、5月を彩る祭事のひとつ。
右掲の写真は、2004年5月5日に行われた天理市平等坊の野神祭で撮ったもの。社の屋根に"菖蒲"と"蓬"、神前に"柏餅"が置かれています。端午の節句に粽を食べたり、菖蒲湯に入る習慣はごく普通の一般家庭のものですが、野神祭にも、この習わしが影響しているようです。
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蛇綱の引き回し
平等坊の野神祭 |
調べてみると端午の節句は、奈良時代に中国から持ち込まれ、中国ではこの日に薬草を摘んだり、蓬の人形を作って軒に下げたり、ちまきを食べたり、疫病、災厄を祓う行事が行われていたようです。
日本では、時節柄それ以前からある田植え前の物忌みの習慣と一緒になって広まったらしいのです。
菖蒲や蓬には魔除けの呪力があるとされていて、平安時代頃には菖蒲を頭に巻いたり、屋根に葺いたりする習わしがありました。鎌倉時代になると、"菖蒲"が"勝負"に通じることから、武家の祭りに変じて、江戸初期には、ついに今のように男子の節句となったようです。現在、端午の節句に武者兜を飾る習慣がありますが、これは平安時代にあった菖蒲を頭に巻く習慣(あやめ鬘)から来ているらしいのです。
このように考察する、平等坊で行われていた素朴な風習は、古い時代のやり方をそのまま残したものであることが分かります。
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