|
|
歳時記 7月
2008年7月1日 万葉集の七夕
最近"万葉集"を読んでいて、民俗学な知見が溢れていることに驚いています。考えてみれば、民俗学の泰斗折口信夫の業績の多くは、万葉集を中心とした古代学でした。それを今頃びっくりしたでは、全く稚拙この上もないということになるのですけれどもね。
例えば、柿本人麻呂の歌を追いかけていると、七夕歌の一群に出くわすことになります。人麻呂は比較的若い頃、恋多き時代にこれらをまとめて作歌したようで、全部で38首もあります。その中から一首を挙げると
| 遠妻(とおつま)と 手枕(たまくら)交へて さ寝る夜は 鶏(かけ)はな鳴きそ 明けば明けぬとも |
人麻呂は、彦星と織姫の年1回の逢瀬に託して、自らの気持ちを見事に読み込んでいます。妻問婚の時代にあっては、七夕の物語は自らの体験と重なって、大変親しみのあるものだったのではないでしょうか。ちなみに、万葉集を読んでいると妻問いの歌が大変よく出てきます。そして、いつも人に知られてしまったらどうしようと心配ばかりしています。人に知られてしまうと、場合によっては彦星と織姫のように引き裂かれてしまう場合もあるのでしょうか。古代人にとって、七夕の物語は、我々現代人よりももっと涙を誘う物語だったようです。 |
2007年7月1日 写真の感性
夏の日差しが強くなってくると、何故か子供の頃を思い出します。ちょうど夏休みが始まる頃、何時も虫取り用の網を持って野原を駆け回っていましたっけ。既に40年も前のことで、短パンにランニングシャツ、頭には麦藁帽子をかぶっているという格好で、今時そんな子供がいたら人間国宝かもしれませんね。
最近日中子供が外で遊んでいることを見たことがありません。私達は、テレビケームやクーラーはなかったけれど、いっぱい自然の中から学んだような気がします。特に人間の感性や情感といったものは、実体験の中でしか育たないと思うのですが・・・。
写真は、今やボタンを押すだけで誰でも撮れてしまうものになりました。しかし、簡単に撮れるようになった分、意図が明確でない写真が増えたように思います。良い写真には、その人の感性や体験が写っています。その人の個性や色調が、その人のメルクマークになっているのです。
その意味で「俳句写真」は、俳句を添えることで写真の意図がより明確になるので、写真の感性を磨くには良いと思います。少なくとも文学的な香りのしない写真は成立しなくなります。写真家諸氏は一度トライされることを薦めます。
|
2006年7月 奈良町の地蔵盆:
 |
| 伝香寺 裸地蔵 |
地蔵盆は、地蔵菩薩の縁日である8月24日に行われ、旧暦の場合7月ということになりますが、奈良の場合7月と8月の両方にほぼ均等に分かれているようです。
地蔵菩薩は、親より先に無くなった子供を賽の河原で救うとされていることから子供救済の仏とされており、特に民間に仏教が広まった中世以降、圧倒的な信仰を受けることになりました。
奈良町界隈は、鎌倉時代には地蔵信仰の一大聖地であったらしく、地蔵菩薩に関わる事跡は枚挙に暇がありません。
 |
| 福地院 数珠繰り |
福地院は、千体仏の光背を背負う坐高3メートルに及ぶ鎌倉時代の地蔵菩薩坐像が残っていて、古くは相当に大きな寺院であったようです。地蔵盆に近在の子供達が集まって盛大に数珠繰りが行われます。
伝香寺は境内に幼稚園を経営する市井の小さなお寺なのですが、鎌倉時代の美しい裸形の地蔵菩薩立像が残っていて、この日にお地蔵様の衣替えが行われます。
十輪院は、鎌倉時代の地蔵菩薩を本尊とする石龕と住居風の楚々とした美しい本堂が残るお寺ですが、この日提灯が多数上がって、しめやかに地蔵会が行われます。
他にも、奈良町界隈では辻の地蔵石仏にも提灯が上げられて、読経が上げられるのです。
また、8月24日に地蔵盆を行う元興寺極楽坊では、夥しい地蔵石仏に蝋燭が上げられて、境内は幽玄な雰囲気で満たされます。
思えば地蔵盆の習俗も、古い町並みにかろうじて残るのみであって、我々の日常には縁が遠いものになってしまいました。
|
|