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歳時記 8月
2010年8月1日 紀伊万葉を行く
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紀伊万葉ガイドブック
発行:和歌山県観光振興課・観光交流課 |
先の3連休を利用して、和歌山に2泊3日の写真旅行に行ってきました。最初は、前から見たいと願っていた和歌山県立博物館の「長澤芦雪展」を見たついでに和歌浦あたりを撮影して日帰りで帰ってくる予定でしたが、雑賀崎灯台から見た夕景があまりに素晴らしかったので、地元の方に宿泊所を紹介していただいて、急遽連泊することになりました。
それにしても、大阪から1時間ほどのところにこんなに景色が美しいところがあるとは不覚にも知りませんでした。前方に20km先の淡路島まで鏡のような静かな海が広がり、左に和歌浦湾、右に加太・和歌山港を望んでまさに絶景です。昨日までの豪雨が嘘のように、夏には珍しい真っ赤な夕陽が現れました。かつて、神奈川県に暮らしていた頃、平塚の湘南平から見た絶景を思い出しました。
飛鳥時代から奈良時代にかけて、皇族は度々和歌山に行幸したことが史書に見えますが、なるほど山国の大和とは異なる壮大な景色を見れば頷けるというもの。結局、悲劇の皇子"有馬皇子"の足跡を訪ねて、白浜まで海岸線沿いに南下することになりました。写真のほうは、後ほど"万葉集の風景"で紹介することになるでしょう。
ところで、和歌山を訪れてみて気がついたことですが、和歌山は万葉集の旧蹟が多く、それを和歌山県がうまく紹介されていること。特に和歌浦の片男波海岸にある「万葉館」でいただいた無料ガイドブック(右掲)が大変優れもので、ほとんどこのガイドブックだけを頼りに3日間迷うことなく旅を続けることが出来ました。
考えてみると、奈良の場合、このようなハンドブックは発行されていないと思います。書籍としてたくさんの万葉集の解説書が上梓されていますが、分厚い専門書が多く、それを頼りにわざわざ旅をする気持ちになれません。もうすこし簡便で、手軽なものが望ましいのです。
考えてみると、私が10年前に祭り関係の写真を撮りだしたときには、奈良県発行の季刊観光ガイドの祭事予定表を頼りに日程を組んだものでした。県の発行される観光資料は、それなりに役に立っているのです。
例えば県が発行する万葉ガイドブック(無料)があれば、軽い感じでそれを頼りに旧蹟を巡ってみようという人も出てくるのではないかと思います。この場合無料にこそ意味があります。無料だからこそ、地元だからこそ、軽い気持ちではじめることが出来るというものです。奈良はいろいろなものがありすぎて、案外うまく紹介されていないと感じるばかりです。和歌山県が素晴らしい取り組みをされているので、ぜひとも奈良県にも一考を願いたいものです。 |
2009年8月1日 私のこだわり撮影術
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最近の私の愛用機
Nikomat FTN
Nikkor Lens f2.8 28mm |
今回は本来の写真の話。最近デジタルカメラが花盛りで、私のようにアナログで写真を撮り続けている人は圧倒的な少数派になりました。デジカメも随分安くなったので、もはやアナログカメラにこだわる積極的な理由は消滅してしまいました。ところが写真を愛するものとして、デジタルカメラを採用するのに、少しひっかかるところがあるのでその話。
私が本格的に写真を撮り出したのは、この10年ほどで、アナログカメラがデジタルカメラに転換した時代に重なるので、アナログカメラを使い続けることがまるで時代に逆行するかのように受け取られることがありますが、実は私自身はアナログとデジタルの違いにそれほどこだわっていないのです。しかし、あえて苦言を呈するならば、皆さん本当に最新型のデジタル一眼レフカメラの性能をフルに使いきっておられるでしょうか?
今や、誰でもボタンを押すだけでそれなりの写真を撮ることが出来る時代になってしまいました。だからこそ、そこに自らの方法論というものを付け加えないと、誰が撮っても同じ写真になってしまう危険性があるのです。何でも撮れるは何も撮れないの始まり。少なくとも、趣味で写真を撮る場合には、個性的な写真を目指すべきだし、何がしかのこだわりがないといけないと思います。今のデジタルカメラは、簡単に写真が撮れすぎてしまうのです。その点では、技術的にはすでに飽和状態だった4-5年前の高級一眼アナログカメラにも同じことが言えました。60万円もするプロ用カメラで撮った写真を見せていただいたら、??というようなことがよくありましたっけ。結局撮れることはむしろ当たり前で、写真の成否は、その画面にどういう狙いがあるか、あるいはどのようなこだわりを盛り込むことが出来たかに係っているのです。
そこで、私の写真撮影のこだわりの部分をこの場でご紹介しましょう。
まず第一に、バカチョンオートを使わないこと。正確にはオートは絞り優先のみを用いて、ボケ味を常にコントロールして撮ることです。第二に、レンズを絞りすぎないこと。例えば標準レンズの場合にはf5.6を常用として、焦点合せは出来るだけ手動で行っています。その理由は、ピントが合った一点に鑑賞者の視点を集中させることで、写真の主役をはっきりさせることができるからです。こだわりの第三は、レンズを絞らずに撮影することが多いので、性能に余裕のある大口径レンズを使用していることです。ズームレンズの場合、3本の大口径レンズ(25-35mm/f2.8、28-70mm/f2.8、80-200mm/f2.8)を常用しており、24-200mmのような高倍率ズームレンズは絶対使用しないようにしています。ちなみに、私の使用しているレンズは、原則的に単焦点、ズームともに、f2.8以上の大口径レンズです。こういうことを10年も変えずに続けてきたので、容易にデジタル化することが出来ないのです。
実は、最近万葉集などの風景に被写体を変えたこともあり、古いニコンの35mm(ニコマートFTN、35年前のカメラ)とペンタックス67を手に入れて、これに単焦点レンズを付けて撮影することが多くなりました。被写体が逃げないので、これで十分なのです。旧式カメラではあるけれども、私の撮影方針とぶつからないところがむしろ安心です。
特に、ニコンのFTNは、旧式のTTL測光のみで露出・ピント合わせともに手動で、しかもレンズ交換が所謂ガチャガチャという超古典的なカメラなのですが、むしろこれが滅茶苦茶楽しいので、最近はこれをカバンに忍ばせて小旅行をすることが多くなりました。ちなみに、購入価格はなんと6,000円でした! |
2008年8月1日 私の好きな一句
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遠花火
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写真のアップを怠っていて、誠に申し訳ありません。ついに最新情報がゼロになってしまいました。最近は、万葉集の勉強に忙しく、和歌の読み込みに没頭する毎日で、なかなか写真撮影にまで至りません。こんなに奥が深いとは思いもよりませんでした。いままで如何に何も考えずに写真を撮っていたかがよく分りました。まあ、この秋くらいからは、なんとか写真を増やしていきたいなあと考えている毎日です。
しかし、和歌を勉強すると、俳句の良さもよく分かるようになった気がします。例えば、伝統の雪月花の歌で比べてみますと
雪の上に 照れる月夜に 梅の花
折りて贈らむ 愛しき児もがも (大伴家持)
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家持の歌は、上句に雪月花がテンコ盛りで、説明的ですね。叙事的といえば言えるし、"私はこう思う"というのが前面に出ています。それが俳句になると次のようになります。
しら梅に 明る夜ばかりと なりにけり (蕪村の辞世句) |
この句は、蕪村の絶唱といえるもので、この俳句の美しさは譬えようもなく、蕪村の人生の最後を際立たせてくれます。私の最も好きな句のひとつです。私は自らが詠うならやはり俳句という気がします。我々市井人が歌を詠うのに、多くを語る必要はないのです。
ところで、最近は俳句もご無沙汰なので、久しぶりに夏の季語で一句。蕪村のようにはいきませんが・・。
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2007年8月4日: 十津川村のお化け
皆さん、十津川村のお盆にお化けが出るってご存知? 場所は、名湯"湯泉地温泉"の小原集落の小学校に、8月13日の深夜12時頃。その証拠が右の写真ですね!
実は、小原の盆踊り(大踊り、国指定無形民俗文化財)には、お化け(扮装した村人)が出るんです。なんだか、案山子が提灯持って歩いているみたいですが、立派なお化けだそうです。あんまり盆踊りが楽しそうなので、冥土の土産にご先祖さんもお出ましになるそうです。左の太鼓のおじさんは、ギョッとしてますね。
聞いたところでは、十津川村には、結婚式などでもお化けが出る習慣(お化けに扮した村人が参列する)があるそうです。ご先祖様もお祝いに駆けつけるというわけですね。でも、新婚さんの枕元にこんなお化けが出たら、ちょっと怖いだろうな。 |
2006年8月1日: 盆の燈籠/高原のちゃんごかご
8月8日は既に立秋。暦の上では、8月の半分以上は秋ということになります。日中は炎天下なのに暦が秋というのは変な感じですが、古人は太陽や風の微妙な変化に秋の到来を感じたのでしょうか。
盆になると、奈良近在では、盆踊り、精霊流し、万燈会、念仏会など、たくさんの行事が行われます。特に特徴的なのは夜闇に揺らめく燈籠。盆燈籠は、祖先の霊を迎えるものとされていますが、黄泉の国から帰ってきた祖霊は、燈籠の下に立つんだとか。まるで、牡丹燈籠の世界ですね。
川上村高原は、皇位継承に敗れた惟喬親王が隠棲したという伝承(平安時代の話)の残る山村。その霊を弔うために、盆の8月13日から15日にかけて、"ちゃんごかご(=法悦祭)"が執り行われます。
薬師堂の入口に"日月の燈籠"、上座に"大燈籠"が掛けられて、堂中央で村人により太鼓の廻り打ちが行われます。教えていただいたところでは、"日月の燈籠"の方向から"惟喬親王"の霊がお渡りになって、"大燈籠"の下に立って、太鼓の廻り打ちをご覧になるのだとか。
薬師堂の隣の十二社神社にも、簡素な燈籠が掛けられて、こちらは厳粛な雰囲気。揺らめく赤い燈籠は、誠に幻想的でありました。
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