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歳時記 10月
2008年10月1日 写真のイメージ
最近、万葉集の写真を撮るために、飛鳥や橿原、あるいは佐保の辺りを徘徊しております。そのため、今までの祭り関係の撮影は小休止状態。考えてみると、奈良という土地は、その切り口によっていろいろ違った面を見せてくれるので、同じところで撮影していても、被写体がまるで違います。
例えば明日香辺りで写真を撮るとして、歴史と重ねて撮影するならば石舞台や飛鳥寺のあたりを撮り、民俗学的な写真を求めるならば、正月に行われる稲渕の勧請縄やとんどの景色を撮ることになります。ところが、今の私のように万葉集の写真を撮影するという場合には、歌のキーワードを念仏のように唱えながら、カメラを持ってその辺りを徘徊することになります。先日は"明日香風"という言葉を壊れたテープレコーダーのように唱えながら、重いカメラ(最近マニュアルの中判カメラを使っている)と三脚を抱えて、かなりの距離を歩くことになりました。これも一種の修行のようなもので、そのようなことをしていると何かコツのようなものが体得できるはずなので、とにかくやってみることと腹を決めていろいろと試しています。
明日香近辺は彼岸花が終わって、そろそろススキが映える季節になろうとしています。今一番狙っていることは、但馬女王の悲恋の歌(人言を 繁み言痛み おのが世に いまだ渡らぬ 朝川渡る)を、明日香川と重ねて撮るということ。この歌は本当に悲しい歌です。だから、手を掛けて美しく撮りたいのです。そのためには、秋か冬の早朝の明日香川を撮らなければなりません。そしてそこに儚げなススキを入れたいのですが、サテそのようにうまくいくでしょうか。 |
2007年10月1日 大和の相撲
最近、大相撲の朝青龍問題が取り上げられて、果たして相撲はスポーツなのか興行なのか、あるいは神事なのか真面目に議論されているのを発見しました。確かに相撲は、もともと神事で神様に奉げるものであって、江戸時代に興行化して、今日のような形になりました。
右掲の写真は、奈良市邑地の水越神社に残る相撲神事を撮ったもの。実際に相撲をとるのではなく、両者が手を取り合って回る所作をするだけで、競技性は失われてまるで演舞のようです。邑地は、中世に春日大社の荘園であったところで、古い時代の相撲の形式を残しているとされています。
もともと相撲は「すまい(相舞)」を語源としており、神事の意味合いが極めて強いものでした。ただし、相撲は古代に東アジアから伝播して、騎馬民族系のモンゴル相撲や韓国相撲と兄弟であることは紛れもない事実なので、伝わった時には実践的で競技性の高いものであったものが、中世に芸能化したというのが本当と思われます。このことは東アジアのダンスや音楽が日本に伝播して、神事芸能化して、伎楽、舞楽、雅楽に変じたことと似ているように思います。ある意味で、朝青龍の野生も相撲の先祖帰りみたいなものかもしれませんね。
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2006年10月1日 大和の翁舞
稲刈りを終えて豊作を祝う秋の祭りは、喜びに溢れています。村人は、麗々しく着飾って社殿に集い、神輿渡御や神楽などが祭りを彩ります。日本の農村が最も美しい季節といえるではないでしょうか。奈良にも面白い秋祭りが沢山あって枚挙に暇が無いのですが、今回は翁舞を紹介します。
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奈良豆比古神社
三人翁 |
翁舞は、能楽発祥以前に、平安時代末から鎌倉時代に、神事芸能として始まったとされております。奈良では、特に談山神社で大変翁舞が盛んであったらしく、常行三昧堂で度々翁舞の興行が催されたことが記録に残っています。現在、談山神社には、摩陀羅神面と呼ばれる不思議な翁面が伝えられており、常行三昧堂の裏木戸に秘匿されて、今も神様として祭られているそうです。
ちなみに、世阿弥を生んだ観世座は、当時談山神社の末寺であった山田寺(飛鳥)の猿楽座(山田座)が発祥であったと伝えられています。
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奈良豆比古神社
三番叟 |
掲載の写真は、国指定重要無形文化財に指定されている奈良豆比古神社の翁舞です。祭りで使用される翁面はいずれも室町時代のもので、ひとつは世阿弥のライバルであった音阿弥が実際に使用したという由緒が残る貴重なものです。
他に奈良の東山中-柳生地区にいくつか翁舞が残っており、今にみることができます。このあたりは、かつて春日大社の荘園であったので、特に能楽や田楽の芸能が盛んに行われていたようです。
鄙びた村祭りで行われる翁舞は神々しく、格別な雰囲気があります。都会では味わえない贅沢な時間ですね。
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