|
歳時記 11月
2010年11月1日 第一回入江泰吉賞:
平城遷都1300年祭が大成功のうちに、無事終わりつつあります。沢山の人がお見えになったことは大変うれしいことでありますが、何より奈良のことをいろいろの機会で取り上げていただいたのがありがたいと思いました。奈良を知ることは、翻って日本のルーツを知ることでもあると思うので、陥りがちな教養主義の埃を振り叩いて、もう一度自分の眼で本物を見ておくことが、国際化時代の現代においてこそ必要なもののはずです。
私は、興福寺の阿修羅像、中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像、東大寺戒壇院の四天王像ほどに美しい彫像を他に知りません。おそらくギリシャの"ミロのビーナス"と並べてみても、その存在感は勝るとも劣らないと思います。戦後65年、国風のものは軽んじられる傾向が続きましたが、むしろ世界に眼を向けるならば、日本に世界に誇るべき素晴らしいものがあることに気がつかないのはおかしいと思うのですが・・。
さて、このたび第一回入江泰吉賞の発表があって、私の友人の野本さんが、見事"日本経済新聞賞"を獲得されました。氏が奈良県の民俗行事の写真を精力的に撮影されて、昨年写真集(野本あき房写真集「奈良大和の祭り」)を上梓されたことは、2009年1月のHPでも紹介しました。
おそらく本人は大賞を目指しておられたはずなので、日本経済新聞賞は大きな賞ではありますが3等にあたるので、存外不本意かもしれません。しかし、本来脇役でしかなかった民俗写真で堂々と本流と戦って名誉を得たわけですから、それだけでも氏の戦功を称えるべきです。奈良民俗写真家の嚆矢として、氏の業績は後世に残る可能性があります。新しいもの、時代を切り開くものとはそういうものなのです。 |
2008年11月1日 多様性:
先般、久しぶりに祭事関係の写真撮影で、奈良東郊の東山中に残る翁舞を追っかけてきました。全く観光客はいないので、かぶりつきで拝見することになるのですが、しかし何故こういうものがこんなところに残っているのか、いつも不思議に思います。
生物学の分野では、種の多様性は、細かく分散化されたテリトリーあるいは棲み分けの中で生まれるとされています。日本という国は、大変古いものが、あるいは多様な芸能が多く残っているところですが、やはり中世-江戸時代にかけて、封建領主の下、地域が分散的に支配されていたことが大きかったのだと思います。
翻って現代社会を考えると、マスメディアの存在が大きくなって東京一極集中がすすむ中、多様なものが生まれにくくなっています。特に地方がまるで小東京のようになってしまって、独自色が失われてしまいました。
近年、地方の疲弊が指摘され、地方分権の重要性が声高に叫ばれています。しかし、安物の経済学を振り回して金の配分が問われるばかりで、地方が各々持つ独自色を生かすための知恵が不足しています。
例えば、大阪で最近ブームになっている落語の定席"天満繁盛亭"。落語の定席などというものは、200坪ほどの土地があれば建設することが出来ます。おそらく、今の国立文楽劇場の10分の一ほどの大きさです。近年はどの市町村にも立派なホールや文化館が建っているのに係らず利用率が低く閑古鳥が鳴いていますが、考えてみれば文化教室程度の場所を上方落語協会に無料で提供しようとする市町村は、戦後60年間どこにもなかったのでしょうか。
かつて30年近い昔に、上方落語協会が当時主催していた島の内寄席"暫亭"で、今は亡き松福亭松鶴のひとり酒盛りという落語を聴いたことがあります。料亭の座敷でしたから、松鶴は床の間を背に、我々(せいぜい50人程度)は座布団に座っての落語会でした。既に声は小さく、途中で噺を簡単にまとめて高座を降りてしまいましたが、上方落語の登場人物そのままの圧倒的な存在感が今でも忘れられません。しかし、松鶴が亡くなる1ヶ月前のことでしたから、もしかしたらあの落語は松鶴の最後の落語だったのではないかしらん。もし松鶴が生きていたら、天満繁盛亭の盛況をどんなに喜んでくれたことでしょう。アア合唱。 |
2007年11月1日 田圃の風景:
|
法起寺の夕陽
Nov. 4 2006 |
子供の頃、稲刈りが終わると田圃は広場と化して、僕達は何時も夜遅くまで駆け回っていましたっけ。でも、最近はそんな子供は居なくなりました。冬の田圃にはかつて人の温もりがあったのに、今はまるでガレージのように冷え冷えとしています。子供達はいったい何処にいってしまったのでしょうか。
考えてみれば、田園風景は全く変わってしまいました。私の子供の頃には、まだ肥撒きが行われていたし、田植えも稲刈りも手作業でした。秋には稲掛けのウマが風物詩で、冬には藁山がありました。それから、赤とんぼもアメンボウもゲンゴロウもドジョウもメダカもあんなに当たり前に沢山いたのに、いったい何処に行ってしまったのでしょう。赤とんぼなどは、昔は空が真っ赤になるくらい何処にでもいたように思うのですが・・・。
先日テレビで村ぐるみで無農薬の稲作りに取り組む福井県の山村の特集を見ましたが、そのようなところだったら、赤トンポの群舞を見ることも夢では無いかもしれません。近くにそういうところがあると面白いと思います。"蛍の村"ならぬ"赤とんぼの村"というのも悪くないですね。
|
2006年11月1日 風景を撮る
|
曽爾高原の夕陽
Nov. 23 2005
|
11月は比較的静かな時期といえます。稲刈りが終り、秋祭りの喧騒は既に過ぎ去りました。虫の音も絶え、秋の月も中秋頃の鮮やかさよりは厳しさが募ります。紅葉が鮮やかなので、写真の被写体には困らないのですが、実は私はこの季節が苦手なのです。寒さ募るこの頃になると、体が縮んだような気がしてどうも良くありません。毎年風邪を引くのもこの季節です。でも、12月の中旬頃になると体が順応して元気になるのです。不思議なものですね。
最近中判カメラを使うようになって、風景写真の勉強もするようにしています。写真というものは、結局技術の巧拙もあるけれども、被写体のある場に居るということがより重要なので、結局場所や光を求めて、いろいろな場所を彷徨することになります。今年の11月は、少し早起きを心掛けて、光を感じる写真を撮ってみたいと思います。
|
|