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自画自賛 2011年1月


押熊八幡宮 卦亭

Jan. 11 2004
Manual_Focus Lens20-35mm
Trebi400
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押熊(おしくま)は、応神天皇を伴った神功皇后と戦って敗れた忍熊王(おしくまおう)と籠坂王(かごさかおう)が本拠としたところと伝えられ、押熊八幡宮の境内には忍熊王と籠坂王を祀る小さな社があります。近くには、仲哀天皇陵、日葉酢姫陵、神功皇后陵、垂仁天皇陵などの巨大古墳が集中して築かれているので、このあたりに三輪王朝あるいはその後の応神王朝に匹敵する巨大勢力があったことは間違いがありません。ただ、神宮皇后に滅ぼされてしまったことに加えて、後に平城京が建設されてその痕跡の多くが消え去っているので、その姿はよくわかりません。おそらくは古代の佐紀から秋篠川沿いにかけて秋篠王朝あるいは佐紀王朝とでも言うべき幻の王朝が存在して、その奥ツ城の押熊あたりがその王宮のひとつであった可能性がありそうです。ちょうど押熊八幡宮は、小高い岡の上にあって、秋篠川を挟んで神功皇后陵などの巨大古墳群と対峙して、王宮に相応しい場所だと勝手に思っているのですが、如何でしょうか。
さて祭りに話を移すと、祭りの名前の"卦亭"は、ケイチンと読み、奈良盆地の各地で残る正月行事"弓引き"がその骨格になっています。ただし、弓引きの行事が、ケイチンあるいはケチンと称されるのは、奈良市北部の押熊八幡宮中山八幡宮佐紀東の3箇所と、奈良盆地中部の数箇所に限られており、"卦亭""結縁"結鎮""華鎮"などの漢字が充てられています。私の勝手解釈ですが、ケイチンは、もともとは和読みでオニシズメ(鬼鎮)であったものを漢読みにキチンと改められ、さらにケチン→ケイチンに訛っていったものではないでしょうか。このオニシズメの祭りが、仏教化したものが日本各地で行われる"追儺会(ついなえ)"で、一般的には節分の鬼追いとして知られる行事です。"追儺会(ついなえ)"の始まりは平安期とされるので、このケイチンの起源も相当古いと考えられます。
なお、押熊八幡宮は、元禄時代に中山八幡宮から分祠されたもので、中山八幡宮のケイチンは"結縁"と綴られており、仏教の影響が感じられます。両社ともに神宮寺が隣にあったらしく、祭りの1ヶ月後には荘厳(しょうごん)という行事もあって、これは明らかに仏教行事の"荘厳"から由来したものに違いありません。


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Web初版開設日: 01/01/2003
Web二版更新日: 09/01/2005
頁最新更新日: 01/01/2011
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