|
歳時記 6月
2010年6月6日 訃報を聞く
最近は、個人的にも公にも訃報を聞くことが多くなりました。5月16日に、ジャズピアニストの巨匠ハンクジョーンズが亡くなった(享年91歳)と聞いたときは、天を仰ぎました。学生時代彼のレコードを貪るように聞いたものでしたっけ。
考えて見れば私も51歳で、人生の先達の多くは既に高齢で、特に10代から20代に掛けて、いろいろな分野で輝いていた人たちは、その多くが鬼籍に入ってしまわれました。人は自らより年齢が高い人から学ぶことが多いという至極自然の摂理から言うと、当然といえば当然のことだけれども、先輩たちの死を聞くことは、自らの学びの軌跡を辿ることと同じで、特別な感慨に打たれるものです。
かつて、写真界の巨匠土門拳の「死ぬことと生きること」という文章を読んで、写真という誰にでも出来る単純明快な世界に、これほどの情熱を傾けて取り組む人があるということに感動したことがあります。土門が取り組む姿勢や哲学が、結局彼の写真のあり方に現れたということが良くわかるのです。逆に彼の写真の美、緊張感、ハーモニーを発見したときに、技術論ではなくて、彼の心情、そして彼がそこにいたるまでのプロセスに思いを馳せなければ、本当のことは理解できないということにも思い至ったのでありました。
このことは、あらゆる世界の巨人達にもいえること(芸術だけでなく、ビジネスや社会における先輩にも同じことが言えると思います)で、各々の技術論とは別に、その哲学や人生観を理解することが、その作品や行動を理解することに重要なのです。
かつて、映画「アマデウス」を観たときに、私は結局「モーツァルト」ではなくて、その仇敵として描かれている「サリエリ」ではないかと暗澹たる気持ちになったことがあります。「サリエリ」は、宮廷音楽家の地位を占めながら、自ら天賦の才能のないことを知っていて、天才作曲家のモーツァルトに嫉妬して、ついに彼を死に至らしめてしまいます。サリエリは、映画の中で、「神が私に才能を与えず、才能を理解する能力を与え給うた」ことを呪うのです。
考えてみれば、齢51にして、何物をも成さない私などは、先輩たちの足元に及ばない愚か者にしか過ぎません。そのことを呪うことがないかといわれれば、万人が等しく思うごとく、わが人生の平凡を厭わしく思う気持ちがないとは言えません。ただ最近、どういうわけか彼らを理解出来るということが、実は私に備わった能力のひとつではなかったかと、ポツンと思うことがあります。もしかしたら、それは大変幸せなことではなかったかと・・。
埃を被っていたハンクジョーンズのレコードに30年ぶりに針を落としてみると、この音楽を理解できることの無常の喜びが、私の心を静かに満たすのです。 |
2009年6月1日 蓮の花づくりとメダカ
6月は私の誕生月であります。50歳を超えるようになると、あまり誕生日はうれしくないものですが、それでも紫陽花の花を見たりすると、自分の生まれた季節を漠然と感じたりするものです。
最近は、休みの日に出る機会を減らして、家に居ることが多くなりました。年齢のせいなのか、この頃家で本を読んだり、ビデオを見たりする時間が無類に楽しいのは、どういう加減でしょうか。私はむしろアウトドア派を自認していたので、4-5年前には休みの日に家に居ることは考えられなかったことですが、その意味では体のリズムが少しマッタリしたきたようで、それはそれで悪いことではないのかもしれません。そういうこともあって、最近休みの日は雨のほうが具合が良いのです。CDかけながらゆっくり本読みなんていう日常は、もしかしたら、中学〜高校時代以来ではなかったかしらん?
家にいると関心の方向も変わるもので、最近少し庭いじりをはじめました。それでまずはじめたのが"蓮の花づくり"。昨秋に、奈良町の元興寺(蓮の花で有名)に行ったときに、蓮の種をたくさん拾った(蓮の種がはじけて庭にたくさん落ちていた。誰も気がつかないようだ。)ので、それを育てることをはじめました。
インターネットで調べてみると、"蓮の花を種から育てる"なんていうブログがたくさんあって、育てるのは案外簡単のようです。ポリバケツを買ってきて、土を入れて、水を張って、そこに前もって発芽させた蓮の種を植え付けるわけです。但し、蓮の花が咲くには2-3年がかかるようですが・・・。現在、蓮を発芽させるところまでなんとか終って、そろそろ植え付けをはじめようというところ。費用はバケツ代と土代の1000円程度。
ところで、5月の初め頃ポリバケツに張った水にボーフラが大量に湧くハプニング。そこでボーフラを食べてくれるというメダカをホームセンターで買ってきて、急遽メダカのオーナーに。毎朝のメダカの餌やりが私の日課になりました。ところが昨日餌やりをしていたら、メダカの子供が数匹泳いでいるのを発見。なんと体長が1ミリしかないのに、一匹一匹立派な魚体を誇っていて、自然の摂理にびっくり。考えてみればメダカも生き物だもの、子供が出来るのは当たり前ですよね。 |
2008年6月7日 万葉集の風景
えー、遂に"万葉集"のホームページを作ってしまいました。最近万葉集を勉強していることは4月の歳時記でご報告していましたが、ちょっとした思いつきが遂にこのような形になってしまいました。
ホームページのフレームを作ることはそれほど難しいことではありません。むしろ頭を悩ませているのは、万葉集をいかに読み込んで、それを画像に結び付けていくかということ。万葉集は読めば読むほど奥が深いので、撮りたいイメージにまで結び付けるが大変です。
一般的に、万葉集の写真というと、詠まれた場所の風景を直接撮ったものが多いようです。しかし、万葉集をそれなりに読み込んでみると、むしろその中に潜む筆者の心象風景を結び付けるにはどうしたらよいかが重要と思うようになりました。万葉集はその時代に生きた人々の生活や息遣いが溢れています。その生活や息遣いをむしろ撮りたいと思うようになりました。今考えているのは、"万葉の風景"は風景、"万葉の花"は花、"作歌の顔"は作家の心象風景を中心として写真化していこうと思っています。使用するカメラも、出来たら対象毎に変えていこうかと思っています。これから私の腕が試されるわけです。
今までの写真撮影と違って、関連図書の読み込みに多くの時間が費やされるので、手元にある書籍は、すでに20冊を超えました。当面は祭事関連の写真撮影を抑えて、万葉集のほうに力を入れていこうと考えています。 |
2007年6月1日 梅雨に思う
そろそろ梅雨の季節ですね。雨は会社勤めの我々にとってあまり楽しいものではありませんが、農家には恵みの象徴。最近早生種が主流ということもあって田植えの時期が早くなりましたが、かつては梅雨を待ってから田植えが始まりました。
梅雨は、実は大変珍しい気候現象のようです。例えばお隣の朝鮮半島は、緯度で言うならば東北や北海道に当たり、6月の雨季はないそうです。日本の気候は、田植えの時期に大量の雨が降ることで乾地に水を一面に張ることが出来、その上7-8月には強い日差しが照って水稲を大きく育てることが出来るので、稲作に理想的だといえます。しかし、我々日本人はこのことがさも当たり前のことのように錯覚してしまいがちです。
ちなみに、現在の日本の人口約1億2千万人に対して、お隣りの韓半島の人口は約6千万人。この人口密度の差は、おそらく工業化が始まる前の150-200年前でもそれほど変わっていないので、日本の豊かな土壌と気候がこの差を生んだと言っても過言ではありません。
日本人は、もっと梅雨に感謝しなくてはならないのです。
|
2006年6月1日 虫送り
5月中旬から6月初旬に田植えが終り、それ以降秋の収穫期に至るまで、農村は労働の季節となります。総じて大きな行事は少なくなり、特に梅雨が重なる6月は祭事が少ないように思います。その中で、奈良の東山地域には、虫送りという山里らしい長閑な祭りが残っています。
|
下笠間 虫送り |
虫送りとは、村人が松明で害虫を集めて村境に追いやるという行事で、例えば室生村では字毎に順繰りに虫送りが行われて、数日をかけて村境まで虫を送っていきます。無山から始まって、染田、小原、下笠間と日を連ねて行われて、まるでオリンピックの聖火リレーのようです。
ただ、不思議なことに、隣村(旧山添村毛原)に送られた虫がその後何処に行くかは定かではありません。虫を送られた隣村は迷惑のようにも思うのですが、隣村で虫送りが引き継がれるということもないようです。
おそらくは、昔害虫駆除として行われていた野焼きの行事が、仏教の影響でやさしい祭礼に変じたのであり、虫の精霊を村外に送るという宗教的な儀式に変わったのだと思います。なんとも典雅なものですね。
|
|